闇路穿つ
『闇路穿つ』
・恩讐の彼方に/菊池寛
・舌を噛み切った女またはすて姫/室生犀星
・山椒大夫/森 鴎外
以上3作品を参考にさせていただきました。
「闇路穿つ」(やみじうがつ)
所要時間:40分程度
【登場人物】
・リュウ♀(20〜30歳)
本名は中川龍女(なかがわ りゅうじょ)
旗本であった父を殺され、その仇を捜している。
旅するうちに路銀も尽き、賊に襲われ、その美しい容姿のため賊の一味に加わる。
形見の持仏を奪われそうになったので逃走したところ、禅海と出会う。
・禅海(ぜんかい)♂(30〜40歳)+イノクマ♂(30〜40歳)
本名は井澤新九郎(いさわ しんくろう)
主殺しの大罪を犯して逃亡し、それを悔いて出家した。
贖罪に諸人救済の大願を起こし、難所の絶壁を掘り貫こうとしている。
※時代は江戸時代です。
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○鎖渡し/夜
一心不乱に絶壁を掘る禅海の鑿の音が響く。
禅海:……おっと、いつの間にやら日が暮れていた。
禅海:今日も、たったこれだけか……
○山中/夜
リュウ、満身創痍。足を引きずりながら歩いている。
リュウ:……畜生……はぁ……はぁ……。
……あっ!
通りすがりの禅海が現れる。
禅海:!……酷い怪我だ、お嬢さん、どうされました!?
リュウ:っく!
足を引きずりながら逃げるリュウ。追いかける禅海。
禅海:お待ちなさい、手当てしてあげましょう。
リュウ:余計なお世話だ!
禅海:そんな傷だらけで、どこに行くのですか!
リュウ:テメェの知ったことか、ついてくるんじゃねぇ!
禅海:そう邪険にしなさるな、拙僧は見ての通りのものです。とって食いやしません!
足を止め、振り返るリュウ。
月明かりに照らされ、艶めかしく微笑む。
リュウ:……男はみんな、はじめはそう言うねぇ。
禅海:……(※リュウの美しさに思わず見惚れる)
リュウ:でも、決まってはじめだけ。
禅海:……なるほど、確かに貴女は美しい。数多の男心を狂わすことでしょう。
リュウ:ああ。だから生臭坊主の甘言なんざ信用ならないのさ。
これ以上つきまとったら承知しないよ、痛い目見ないうちに帰りな。
禅海:……わかりました。では、この布と水を置いていきますから、ご自分で処置なさい。
リュウ:それは、テメェの飲み水じゃないのか?
禅海:その足では水を汲むのにも苦労するでしょう、差し上げますよ。
リュウ:…………
禅海:それでは。
リュウ:……待ちな!
禅海:……なんでしょう?
リュウ:テメェ、この辺りには詳しいのかよ。
禅海:それなりには。
リュウ:気が変わった。オレを匿(かくま)ってくれ。
禅海:匿う……というと?
リュウ:賊に追われてるのさ。この足じゃ、そう遠くへは逃げられねぇ。
哀れな女を助けておくれよ。
禅海:わかりました。貴女が良いのなら、私の寝座(ねぐら)へいらっしゃい。
○山の洞窟(禅海の寝座)/夜
リュウ:うわ、あんた……洞窟で暮らしてるのか!?
禅海:無駄が無くて快適だよ。
リュウ:坊さんってのは、もっと裕福なもんだと思ってた。
禅海:さぁ、傷を見せてごらん。
リュウ:あ、あぁ……
禅海:うん……右足は、折れている。他は?
リュウ:背中に、石をぶつけられた。
禅海:見ても?
リュウ:ああ。
禅海:これは、ひどい。……これを貼っておけば、少しラクになる。
リュウ:……聞かないのか?
禅海:ん?
リュウ:オレが、どうして賊に追われていたのか。
禅海:話したくなったら、話すだろう。
リュウ:ははっ。そりゃそうさ。あんた名前は?
禅海:禅海(ぜんかい)と名乗っているよ。
リュウ:私はリュウ。
禅海:リュウ、良い名だ。
リュウ:猛々しくて似合いの名だろ?
禅海:そんなことは。
リュウ:本当のことを言っていいんだよ。
禅海:嘘は言わない。
リュウ:どうだか。ふーん、よく見りゃアンタ可愛い顔してるじゃないか。
禅海:それはどうも。
リュウ:アンタの事、嫌いじゃないよ……?
リュウ、艶めかしく禅海の顔に触れる。
禅海:……
リュウ:足が治るまで、どうか私を助けておくれね?
禅海:勿論。
リュウ:うれしい……
禅海の顔に手を添えたまま、顔を近づけるリュウ。
禅海:……あまり触れないでくれ。
リュウ:どうして?オレのこと嫌いかい?
禅海:嫌いではないが、そういう事は必要ない。
リュウ:……へぇ?
禅海:はやく休みなさい、傷にさわる。
リュウ:ハッ!身寄りもない文無し女を抱きもせず、ひと月もふた月も置いておけるもんか。
途中で放り出されたらたまったもんじゃない。気が変わったらすぐ言いな!
禅海:困ったやつだ。おやすみ。
○山の洞窟(禅海の寝座)/朝
リュウ:……っ。
禅海:起きたか。
リュウ:……あぁ……
禅海:よく眠っていた。ちゃんと私を覚えているか?
リュウ:……バカにしやがって。
禅海:ほら、呼んでみろ私の名を。
リュウ:ちっ……禅海(ぜんかい)だろ。ぜんかい!
禅海:そうだ。はは、思ったより記憶力が良い。
リュウ:オレを鶏(にわとり)か何かだと思ってやがるな。
禅海:さぁ、朝餉(あさげ)にしよう。
私は食べないが、ケガ人には栄養をとってもらわないとな。
リュウ:なぜ食べない?
禅海:私は一日一食だ。
リュウ:だからそんなに痩せてるのか。
禅海:これは生まれつきだよ。さ、お食べ。
リュウ:ふん……ありがたく頂戴するよ。
椀を受け取るリュウ。
禅海:そうしてくれ、私は今から出かける。
リュウ:どこ行くんだ?
禅海:うん、ちょいとやる事があってね。
リュウ:ふぅん?
禅海:気になるのか?
リュウ:少しはね。
禅海:少しなら気にするな。
リュウ:鬱陶しい坊主だな!ケチケチしねぇで教えろよ!
禅海:はは。これさ。
禅海、槌と鑿を見せる。
リュウ:槌(つち)と鑿(のみ)……そんなもん何に使うってんだ。
ひょっとして坊主じゃなくて石工(いしく)だったのかい?
禅海:ははは。あながち間違いではない。
リュウ:おい茶化すな。
禅海:おっと、鐘が鳴った、悪いがもう行くよ、夜戻る。
禅海立ち去る。
リュウ:お、おい!…………。
洞窟に取り残されたリュウ。
リュウ:(M)禅海は、なんでオレなんかを助ける……?
ただの親切心……そう受け取って良いのか?
……まぁ、今更オレに怖い物なんざ、ありゃしないか……
懐から持仏を取り出し、見つめる。
リュウ:(M)……どう転んだって、今以下には、なりようがないんだ。
○山の洞窟(禅海の寝座)/夜
禅海:リュウ、リュウ?
禅海、眠っているリュウに触れる。
リュウ:っ!
リュウ、飛び起きて身構える。
禅海:……夕餉(ゆうげ)だよ。
リュウ:はぁ……はぁ……
禅海:……驚かせてしまったね。
リュウ:いや、すまない……随分、懐かしい……夢を……見てた……
禅海:良い夢だったかい?
リュウ:……途中まではな……後は、ロクでもない。
禅海:なら少しでも早く目が覚めて良かった。
リュウ:もう夜か……全然気が付かなかった……
禅海:リュウが思っている以上に体は疲弊(ひへい)しているんだよ。……そら。
リュウへ碗を渡す禅海。
リュウ:……ん。
禅海:食べたらまたお休み。
リュウ:牛になっちまうよ。(※啜りながら)
禅海:なったら乳をしぼってやろう。
リュウ:へぇ、言うじゃねぇか南蛮人(なんばんじん)気取りが。やってみろよ。
禅海:今はしぼれるものがなかろう。
リュウ:舐められたもんだねぇ、目に物を見せてやるよ。
禅海:結構だ。日中寝すぎて少々余分な精までこさえてしまったようだな。
リュウ:別にそういうワケじゃないさ。オレは恩返しがしたいだけだよ。
禅海:恩返し?
リュウ:こんな貧しい暮らしをしていて、なんでわざわざオレみたいな女を無理して助けるのさ。
禅海:……
リュウ:夕餉(ゆうげ)も食わないんだな。
禅海:ああ、仕事の合間に食べたからね。
リュウ:……目が泳いだ。嘘をつく人間の典型だ。
禅海:食べたよ。
リュウ:嘘だね!……そんな棒っきれみたいな身体じゃ、いずれ餓え死ぬよ。
禅海:……一日くらい食べなくても平気さ。
リュウ:ほら。嘘だった。
禅海:今日はたまたま食べようという気がおこらなかった。言えば気に病むかと思ってな。
禅海:だが考えてみれば、そんな玉でもないか、はは。
リュウ:禅海、オレはあんたの腹の底が見たい。
禅海:別に隠してはいない。
リュウ:また嘘だ。体目当てのほうがまだ安心出来るよ。
禅海:やれやれ……
リュウ:本当にただの親切心だって、なんの下心も無いって言えるのか?
禅海:…………言えないな。
リュウ:……(※少し落胆して)……ほらな。
言ってみろよ。体目当てじゃないんだったらなんだ?
肥らせて、どこぞの屋敷にでも売り飛ばす気か?
それともアンタのやってるワケのわからない仕事を押しつけるか?
なんだっていいや、言ってくれ。その方がこっちだってスッキリする。
禅海:……(※ため息)……私はね、世の中の役にたちたいんだよ。
リュウ:……は?
禅海:今朝、私がどこに行くのか興味がありそうだったね。
リュウ:あ?あぁ……
禅海:言ってしまえば、あれも同じでね。
この近くに『鎖渡(くさりわた)し』と呼ばれる難所があるのは知っているか?
旅人が年に十人ほど、そこで命を落とすと言われている。
リュウ:聞いたことはあるよ。
禅海:私は自分の命を捨てても、この200余間(よま)に余る絶壁を掘りぬいて、
道を通じようと思っている。
リュウ:そんな事をして何になる?誰かに頼まれたのかい?
禅海:いいや。私が好き好んでやっている。道が通じれば、村も活気が出るだろう。
リュウ:誰に頼まれたんでもなけりゃ、そんな事したって一文にもなりゃしないじゃないか!
禅海:その方が良い。見返りを貰っては意味が無いんだ。
私はこの身が、少しでも人の役にたてるなら、それが一番の幸いなんだ。
だから、リュウの感じる私の下心の正体はコレさ。
リュウ:わかんねぇな。
禅海:そうだろうとも。さぁ、ケガ人は寝た寝た。
リュウ:私みたいな阿婆擦(あばず)れ助けたところで、ひとつも世のため人のためにゃならねぇよ。
むしろ害になるだけさ!
禅海:だがリュウは助けてくれと言ったじゃないか。
リュウ:そりゃあね。
禅海:なら、それでいい。
リュウ:……変なやつ。
○山の洞窟(禅海の寝座)/灯りを消してしばらくして
リュウ:……おい。
禅海:…………
リュウ:禅海、寝ちまったか?
禅海:……
リュウ:……起きてるんだろ?
禅海:…………なんだ。
リュウ:寒いんだよ。
禅海:……
リュウ:もうちょっとこっちへ来てくれよ。
禅海:……(※ため息)
リュウ:……眠れないんだよ。
禅海:……目を瞑っていろ。そのうち眠れる。
リュウ:あんた、生まれは?
禅海:……江戸だよ。
リュウ:へぇ、じゃあオレと同じだ。お互い流れ者だな。
禅海:……何故わざわざ中津まで?
リュウ:『捜しもの』さ。
禅海:『捜しもの』?
リュウ:ずっとそいつを血眼(ちまなこ)で探して、旅をしていた。
でもさ、女の一人旅なんざ危険がつきものだろ。
上手く立ち回ってるつもりが、気づけばこのザマさ。
このナリみりゃ少しはわかるだろ?色々やっちまったのさ。
何もかも失っちまうと、動き回るのも段々しんどくなっちまってね……
禅海:……そうか。
リュウ:まだ、諦めたわけじゃないけどさ……
もう手がかりの検討すらつかなくなっちまった……
……なぁ、何を捜しているか、聞きたいか?
禅海:興味ないよ。
リュウ:そうか。……ま、こんなのは面白い話じゃない。ロクでもない話だ。
そうだな、他に何の話をしよう……
禅海:はやく寝ろ。
リュウ:……自信無くしちまうな。オレはそんなに色気無しかい。
禅海:ああ。
リュウ:声も聞きたくねぇってか。
禅海:ああ。
リュウ:テメェ……!
リュウ、禅海の服を掴む。
禅海:あ、おい……ひっぱるな……あ……
リュウ:あ……
禅海の胸元に深い傷痕が見える。
リュウ:……悪い。
禅海:……この傷は昔、少しな。
リュウ:……痛むのか?
禅海:もう何年も前の傷、たまに疼く程度だよ。
リュウ:戦場で受けた傷じゃねぇな。もっと深い殺意のこもった傷だ。
禅海:…………私は、殺されても良いと思っていた。
殺されて当然だとすら思っていた。それだけの事を俺はしでかしたんだ。
なのに刀を向けられた瞬間、急に本能が喚きだした。
土壇場で命が惜しくなってしまったんだ……死にたくないと、ただただ必死だった……
……醜いものだろう。お前が阿婆擦れなら、俺は腰抜けだな。
リュウ:……そんなもんさ、人間なんて。別に醜いなんて思わねぇよ……
禅海:……ありがとう。
リュウ:なにも礼を言われるこたぁしてねぇよ。
禅海:リュウ、お前は口でこそ乱暴に振る舞っているが、心根(こころね)は優しいんだな。
リュウ:ば、馬鹿言え!
禅海:ははっ。私はわかっているよ。さぁ、もういい加減寝よう。
リュウ:(M)禅海は微笑むと静かに念仏を唱えだした。
その声を聞いているうちに、オレは眠ってしまった。
翌朝、オレは『鎖渡し』まで着いていくことにした。
禅海は酷くそれを嫌がったが、無理矢理着いていった。
○鎖渡し/朝
禅海:いいか、私は今から無心でこの絶壁を掘り進める。暗くなるまでずっとだ。
お前の事を気遣ってはやれない。ここでじっとしているんだよ。
リュウ:わかってる。うるせぇな、道中何度聞いたと思ってやがる。耳にタコが出来ちまうよ!
禅海:じゃあ、はじめる。
リュウ:(M)そう言うと禅海はまた念仏を唱えだした。
禅海の念仏と、絶壁を掘削(くっさく)する音色が混じり合うと、
まるで見事な雅楽(ががく)のようだった。
この音色のひとつひとつが、禅海の命を削っている。
あの細い腕で槌(つち)と鑿(のみ)を振るい、じわじわと削っている岩肌には、
禅海の命が宿っている……
そう確信した時、オレはそのあまりの哀しい美しさに、とめどなく涙を零してしまった。
○鎖渡し/夜
禅海:リュウ、そろそろ帰る……そら見ろ。退屈で眠ってしまったじゃないか。よいしょっと。
禅海、眠っているリュウを背負う。
リュウ:んっ!あ……あ!悪い、寝ちまったのか。降ろしてくれ。
禅海:最初からこうなるのはわかっていた。さ、帰ろう。
リュウ:自分で歩ける!下ろせよ!
禅海:駄目だ。ここに来るだけでリュウの足は限界になっている。
寝てしまった罰に、大人しく背負われていなさい。
リュウ:ちっ。頑固坊主。
禅海:そうそう。そうやってブツクサ言って私を元気づけてくれ。
リュウ:はぁ!?こんなんで元気が出るってんならいっくらでも言ってやるよ!
朴念仁(ぼくねんじん)の唐変木(とうへんぼく)!頓痴気(とんちき)ちーのこんこんちき!
禅海:いいぞいいぞ!それから?
リュウ:末成(うらな)り瓢箪(びょうたん)のおたんこなすの土手南瓜(どてかぼちゃ)!
禅海:ははは。意外と言葉を知っている。
禅海、立ち止まる。
リュウ:ん?どうした?
草陰から山犬(オオカミ)が現れる。
リュウ:や、山犬!?
禅海:どうやら、飢えてこんなところまで出てきたようだな。
リュウ:おい、下ろせ!
禅海:そうはいかない。
リュウ:馬鹿言うなよ!飢えた獣相手に女背負って、槌(つち)と鑿(のみ)で戦うってのか!?
禅海:うん、どうしたものかな。とりあえず、こういう時に背をむけてはいけない……ゆっくりと……
リュウ:いいから早くおろせ!見ろよ、あのギラついた目を
禅海:リュウ、目を見てはいけない!
山犬、じりじりと近づいてくるが、急に去って行く。
リュウ:あ、あれ?なんだ?行っちまいやがった?
禅海:不思議な事もあるものだ……普通、獣の目をまっすぐ見つめては敵意があると思われるのだが。仏様のおはからいだろう。
リュウ:なぁにが「不思議な事もあるものだ……」だよ!くそ坊主!なんでとっととオレをおろさねぇ!死ぬとこだったよ!
禅海:なに、いくら枯れても、痩せ犬いっぴき片手で追い払って見せるさ。
リュウ:この、とんちんかん!すっとこどっこい!表六玉(ひょうろくだま)の生臭坊主!
禅海:ハッハッハッ、いいぞ、元気が出てきた。さぁ、早く帰ろう。
リュウ:(M)結局禅海は、ねぐらにつくまで、頑なにオレをおろそうとはしなかった……
骨ばった肩にしがみついて揺られていると、胸に隠した金像が焼けるように熱く感じた。
○山の洞窟(禅海の寝座)/夜
槌(つち)と鑿(のみ)の手入れをしている禅海。
それを見ているリュウ。
リュウ:なぁ、禅海。
禅海:なんだ?
リュウ:年がら年中、あの絶壁を掘ってるのか?
禅海:ああ。
リュウ:だと思ったよ……
禅海:一日でも早く、道を作りたいからな。
リュウ:あの壁を掘って、どれだけ経った?
禅海:二年だよ。
リュウ:二年!?二年であれっぽっち!無理だよ!十年かけたって、堀り終わるわけがねぇ!
禅海:だが二十年、三十年ではどうだ?
リュウ:…………それまで禅海が生きてたらな。
禅海:そうさなぁ。それまでは死にたくないな。
リュウ:…………なぁ!……冗談だから……真に受けるなよ……?
禅海:うん?
リュウ:オレと……夫婦(めおと)になるのはどうだい……
禅海:……
リュウ:オレが稼いできて、飯くわしてやりゃあ、ちょっとは長生き出来るじゃないか……
岩削るのだって、手があきゃ手伝ってやっても良いし……
そうしたら、少しは早く道が出来るだろ……
禅海:……
リュウ:禅海が何のためにあんな壁掘ってるかなんてオレにゃわかんねぇけどさ……
最後まで、やり遂げたいんだろ。命を懸けても……
禅海:……大丈夫だよ。私はそう簡単には死なない。
リュウ:……
禅海:小さいが畑もあるし、托鉢(たくはつ)をすることも出来る。
リュウ:その間(ま)も惜しんでるじゃないか。
禅海:それはそうだが……なぁに、なんとかなる。
……それに……
それに……私には、人並みに生きる資格が無い……
リュウ:……
禅海:……すまない。
リュウ:真に受けるなって言っただろ!
禅海:(M)その後、リュウは疲れたと言って何も口にせず寝てしまった。
私はその寝顔を見ていると、無性にリュウを抱きしめたくなった。
しかし己を顧(かえり)みて、その思いに固く蓋をした。
私のような人間に、人並みに生きる資格はとうに無くなったのだ。
美しいリュウの優しい言葉に、どうして自分のような人間が応える事が出来ようか。
許されるはずが無い。
○山の洞窟(禅海の寝座)/朝
リュウ:なぁ、あの岩壁、今日はオレにも削らせろよ。
禅海:駄目だ、今日は寝座(ねぐら)の番をしていてくれ。
リュウ:ここの何を番しろってんだい。良いじゃないか手伝うくらい!
禅海:連日出歩いては足の負担になる。今日は休んでいなさい。
リュウ:ケッ、歩き方忘れちまうよ。
禅海:忘れる前に治っておくれよ。じゃあ、行ってくる。
リュウ:精々細腕折らないように用心しな!
○鎖渡し/昼
禅海:(M)この大盤石(だいばんじゃく)を穿(うが)つ事に、
何の意味があるのかと問われれば……それは贖罪だ。
主殺しの罪に汚れたこの体を、諸人(もろびと)のために粉々に砕いて、
自分の罪の万分(まんぶん)の一でも償いたい。
一年に十人を救えば、十年には百人。百年、千年と経つうちには、
千万の命を救うことができるはずだ。
この誓願(せいがん)を成就させる事だけが私の命の使い道。
私の死に場所はここと定めた。………しかし……
リュウ:(M)オレと……夫婦(めおと)になるのはどうだい……
禅海:(M)念仏を、一心不乱に念仏を唱えるのだ……!
○山の洞窟(禅海の寝座)/夕方
リュウ:……禅海?もう帰ったのか。随分早かった……イノクマっ!?
イノクマ:よぉ、随分と探したぜ……おリュウ。
リュウ:……!
イノクマ:覚悟はしているな。
リュウ:くそぉっ…!
リュウ、イノクマに体当たりして逃げようとする。
イノクマ:おおっと。そんな細い体じゃススキも倒れねぇぜ。
イノクマ、リュウを捕らえる。
リュウ:は、離せ!
イノクマ:こんな所に隠れてたとはなぁ、丁度イイや。ここなら二人きりだ。
積年の思いを遂げさせてくれよ。
リュウ:ふざけるな、誰が……んぐっ!
イノクマに唇を奪われるリュウ。
イノクマ:諦めろ、お前の白い肌は男心を狂わせる。
俺もお前にいかれちまったのさ……
イノクマ、リュウの体をまさぐり、懐から金像を見つける。
リュウ:やめろぉ!
イノクマ:はっ。相変わらず、こんなもん後生大事に抱え込んでるんだな……
リュウ:それに触るんじゃねぇ!
イノクマ:たしかに値が張りそうなもんには違いねぇ。
何より、お前がお前自身より大事にしてるもんだ。一緒にいただくとしよう。
なぁに、ただの一度、一度だけで良いんだ。
どうせお前の心はオレのもんにゃならねぇ……
リュウ:くそっ!離しやがれ、こん畜生!
イノクマ:こう暴れられたんじゃ色気がねぇな。……お前が悪いんだぜ、リュウ。
イノクマ、リュウの足を鉈で斬る。
リュウ:ぐっああああ!……はぁ……はぁ……!
イノクマ:ほら、大人しく言うことを聞けば可愛がってやるんだ。
でも、最後まで逝っちまうなよ?げへへっ。
○山の洞窟(禅海の寝座)/夜
禅海が戻るが、真っ暗である。松明を持った禅海が中を照らす。
禅海:ただいま………リュウ?
なんだ、この臭い……………あっ!
リュウと見知らぬ男(イノクマ)の死体がうつ伏せに倒れている。
リュウ:……ぅ……
禅海:リュウ!大丈夫か!?……この死体はどうした……!?
リュウ:襲われた……舌を噛み切ってやったから、
汚ねぇツラ拝みたくなかったら、ひっくり返さない方が良いよ。
禅海:そうか、よく無事で……ん、この……金像(こんぞう)は……!
禅海、光り輝く金像を拾う。
リュウ:返しとくれ!
リュウ、奪うように金像を取り返す。
リュウ:これが私を守ってくれたのさ……
禅海、今すぐここから逃げろ、もうじき、残りの賊もやって来る………
禅海:その……まばゆい金像は……
リュウ:急ぎな、この死体は賊の第二頭領だった男だ
オレはそこの一味だった。この男は随分オレを欲しがってね
身体ぐらいやっても良かったが、オレの操(みさお)が身体に無いと知ると、
オレの命より大切なものを奪おうとしやがった。
禅海:その金像(こんぞう)が……『お前の命より大切なもの』か……?
リュウ:ああ。この男がここを探し当てたんだったら他の奴等も、
すぐにこの辺りまでやってくる。早く逃げな。
禅海:なら、ともに行こう……
リュウ:オレはいい。
禅海:?
リュウ:あとで別の道で行く。先に行け。
禅海:馬鹿を言うな。そら。
禅海、リュウの手をひく。
リュウ:ぐっ!
禅海:!……リュウ、足を……
リュウ:……ちっ。
禅海:逃げられないように、斬られたのか……
リュウ:ちっと休みゃ一人で動けるよ。ほら早く……
禅海、死体を奥へ隠す。
リュウ:おい!死体なんか放っておけ!
禅海:そうはいかない。……これで良し。さて、と。
リュウを背負う。
禅海:……少し揺れるが、辛抱してくれ。
リュウ:……大馬鹿野郎……
禅海:となりの山に勅願(ちょくがん)の寺院がある。そこに匿ってもらおう。
○寺院の蔵/深夜
禅海:良かったな……上人(しょうにん)も快諾してくださった。
なんでも、ここらは最近山犬がうろうろしているとか。
我らが血の匂いをこんなにさせながらも、ここまでたどり着けたのは御仏のお導きに違いないと。
賊は山犬のせいでとても近づけないそうだ……朝になれば医者をよんで
リュウ:もういいよ。
禅海:ん?
リュウ:わかっただろ、オレは盗みもやるし身体も売るし、殺しもやるような女さ!
こんな女生かしておいたって、何一つ世の為にゃならねぇよ!
元々お前みたいな坊主が関わる女じゃないんだ、とっとと何処かへ消えちまえよ!
禅海:…………リュウ。私は、言わなくてはならない事がある。
リュウ:聞きたくねぇよ。
禅海:聞いてくれ。
リュウ:しつこいな!
禅海:先程、お前が命より大事だと言った守本尊(まもりほんぞん)。私はそれに覚えがある。
リュウ:……!?
禅海:放光王地蔵菩薩(ほうこうおう じぞうぼさつ)の金像(こんぞう)。
その昔、百済国(くだらのくに)から渡ったのを、我が主のご先祖が賜り、
代々家宝としてお守りなされたという。
リュウ:……お前……お前は、………誰だ?
禅海:……おそらく、貴女の『捜しもの』……
リュウ:……名乗れ。
禅海:……井澤新九郎(いさわしんくろう)。
不義をはたらき、貴女様の父君にお手討ちにあうところを、
我が身惜しさに手向かい、主殺しの大罪を犯した犬畜生です。
リュウ:…………新九郎(しんくろう)……貴様のせいで………!
禅海:……申し開きの言葉もございません。中川龍女(なかがわりゅうじょ)様……
リュウ:殺してやる……
禅海:今度こそ手向かいなど致しません。どうぞ、お好きなように。
リュウ:地獄に堕ちろ!
リュウ、禅海の首を絞める。
禅海:ぐ……
リュウ:中川がお家断絶となり果てた日から、ずっとお前を捜して……
……私が、どれだけ……どれだけ……
禅海:……ぐううっ………
リュウ:……ぜん……かい……
リュウの頬を涙が伝う。
禅海:……っ!?………げほっげほっ……
リュウ:…………
禅海:……げほっ………龍女様……どうなされた………
リュウ:今更、仇を討ったところで……何もかも遅い……
私はもう、全てを失ってしまったのだ……
禅海:……私が憎くはないのですか……
リュウ:黙れ!
禅海:龍女様……
リュウ:黙れ!黙れ!黙れ!…………憎い、憎いに決まっておる!
幾度(いくたび)幾年(いくとせ)貴様の首を切り落とす夢を見たか!
……だのに…………殺せぬ……!
禅海:……
リュウ:殺せぬ、殺せぬのだ……!
禅海:…………龍女様……
リュウ:………………新九郎、私を殺せ。
禅海:……その様な事、出来るはずがございません……!
リュウ:腑抜け!修羅の道に堕ちながら、業を重ねる事を恐れるか。
禅海:……
リュウ:この足を見よ、未だ血が止まらぬ。
このまま朝を迎える頃には、この身は冷え切っておろう。
禅海:……
リュウ:熱き血潮の流れるままに、貴様への憎悪をこの身に燃やすままに
全てを終えたい。新九郎、貴様とて今更だ。
この場で私を殺し、中川を根絶やしにするが良い。
あの世で貴様を呪ってやる……!
禅海:(M)リュウの瞳は爛々(らんらん)と私に迫った。
しがみつくその小さな身体は震えていた。
私はどうすることも出来ず、ただ彼女を抱きかえした。
リュウ:!?
禅海:…………どうか………
リュウ:…………………
禅海:………………どうか、それだけは………
リュウ:…………何故……お前が………
禅海:…………
リュウ:禅海……何故……
禅海:(M)…………許してくれなどとは言えない。愛しているなどと死んでも言えるはずもない。
私はただ、リュウの身体がゆっくりと冷えていくのを感じていた。
しばらく無言の時が流れる。
リュウ:……寒い。
禅海:……もうすぐ夜明けだ。陽があたためてくれる。
リュウ:……念仏を唱えてくれ……
禅海:…………
リュウ:夜が明けるっていうのに、目の前が暗くなってきてるんだ……
……怖いんだよ……
禅海:……わかった……
ゆっくりと陽が昇り、蔵の窓から朝日が差し込んでくる。
禅海:リュウ……夜明けだ…………見えるか……
リュウ:……見える……朝日だ……
金像を取り出して陽に照らす。
リュウ:毎朝、この地蔵菩薩にお前を討つ日を願っていたのに……
こんなに綺麗だなんて、今日まで気がつかなかった……
禅海:(M)あぁ……地蔵尊よ……
リュウ:なぁ、オレが死んだら、あの壁を掘りぬいた先に、この像と一緒に埋めてくれ。
禅海:(M)後生です……どうか、この高潔な魂を、お救いください……
リュウ:オレを殺せなくても、それぐらいは出来るだろ……
禅海:リュウ……俺は……お前を……
リュウ:馬鹿野郎。言うなよ……
諸人救済(しょじんきゅうさい)の大願を成し遂げてみせろ……
壁を掘っている時のお前、すごく綺麗だったから……
禅海:必ず、必ず……!
リュウ:……うん……なら、良い……
禅海:何年何十年かかっても、必ず成し遂げる。
私の罪も、お前の苦しみも、全部砕いて……
道を作ってみせる……だから……リュウ……
……死なないでくれ……
その時、金像が朝日にきらめきながら粉々に砕ける。
禅海:っ!?
リュウ:……こ、金像が……砕けた……!
リュウ:……………あ………ああぁ……
リュウの足の傷が消え去っていく。
禅海:リュウ……?
リュウ:……オレは、夢でも見てるのか……
足の痛みが……消えた……
禅海:リュウ、お前、傷が無くなっているぞ……
血のあとすら、どこにもない……
リュウ:なんだ、これ……
禅海:リュウ!
禅海、リュウを力一杯抱きしめる。
リュウ:……禅海、これは一体……
禅海:地蔵尊のお慈悲だ………お前の命の身代わりになってくださったのだ……
禅海:良かった……本当に……良かった……!
リュウ:(M)禅海はむせび泣いて、更に強く私を抱きしめた。
禅海:(M)はらはらと涙を流すリュウの美しい面(おもて)に、
私は何もかもを忘れてしまいそうだった。
抑えきれない愛しさだけが込み上げてきた。
リュウ:……いつまで抱いてやがる……
禅海:リュウ……私と……
リュウ:……言うな。オレはまだ、お前を許したわけではない……
禅海:…………
リュウ:……お前はまだ、償っていない……
禅海:……ああ、そうだった……その通りだ……
リュウ:あの岩壁の向こうで、待っている。
禅海:!
リュウ:諸人救済の大願を成し遂げたお前と、もう一度出会いたい。
来てくれるんだろう?何年かかっても……
禅海:……ああ。行くよ。必ず、逢いに行くよ。
リュウ:うん。じゃあ、また……いつか。
禅海:何十年かかっても、行く!必ずお前に逢いに行くから!
リュウ:待ってる。
禅海:(M)微笑むリュウの面(おもて)を朝日が照らした。
私にはリュウのその微笑みが、金像のそれより、なお慈悲深く、輝いて見えた。
それからというもの、脳裏に焼き付いて離れないその微笑みを夢見ながら
一人拮々(きつきつ)として『鎖渡し』の絶壁を掘り進んだ。
春が去って秋となり、四時(しじ)の風物が幾度となく移り変ったが、
私の耳には不断の槌(つち)の音だけが響き続けていた。
終劇
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